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2011年大みそか
2011-12-31 Sat 07:11
今年最後の日記になりますね。

無事に2011年を終えそうです。

2006年から始めたこのブログも、毎年12月31日だけはしっかりと更新してるようで

振り返って読むと、たいした成長もねぇな~と驚きます。

が、裏事情を踏まえると、なんやかんやあったなぁと思いかえします。

ちなみに、この文章・・・長いのでご注意を!

    旅の途中

今年は特に大きな活動をするという予定ではなかった、活動休止と宣言しておいて

しっかりと活動していたようで我ながら驚く

その気持ちを変えてしまったのは、やはり3月11日だったのように思います。

この日以降、胸の中を鷲づかみされるような感覚を映像を観ては覚え

話を聞いては受け取り、当日を思い出しては脈が速くなった。

しかし、、、次第に記憶は薄れつつあるのかもしれない。

人は忘れないと生きていけないのだから

しかし、まだ1年も経っていないのに。

そして、昨夜、震災の事を伝えたテレビ番組があった。

一般放送のテレビをほとんどみなくなっていたが

久しぶりに観ることになった。

と、その前に、あんだけ「がんばれニッポン」「がんばれ東北」をうたった民放は

今はどこへ行ったというのだろうか・・・

その後の現地の様子を、原発の様子を、ひっそりと知らない間に放送しているのか

俺が知らないだけなのか、テレビ観てないからしょうがないか・・・

行方不明者は行方不明者のままなのか

お笑い好きだけど、笑い飛ばそう日本、という方向へ向かってるのかな

ジャ〇ーズ、よし〇と、GOGOだね・・・

ともあれ、小倉さん司会の番組を観ました。

 

揺れた6分間、を観た時

走馬灯のように当日の事が蘇り、意味の分からない状況下

人であれ触れた駅、歩く人、見守った福島原発の様子

帰宅して知った津波、、、

今日見た番組では、その津波にのまれる直前の人の行動が

たまたま撮影された映像をつないで映し出されていた

警戒心の薄さが行動判断を鈍らせたことや

想像以上の地震で連絡網が絶たれたことや

一度避難したのに、寒さから徒歩2分の家に服を取りに帰った親子など

生死を大きく分けた行動が見えてきた

服を取りに帰った親子は、もう帰って来なかった

 
その他、最期のメールたち

「こわいよ、たすけて、死にたくない」

「絶対に生きるよ!だって、愛してるから!」

「くるまに水が入ってきた、出てったほうがいいのかな、でるね」

「〇〇です。帰ってくるな。」

 

報道で記憶の中で残ったメール内容ですが

静かにこの内容を受け取ることができず、胸の中から震えて涙があふれてしまった。

 

「がんばれ東北」は24時間テレビまで叫ばれてた報道だったような

その後は一気に紳助さんの報道に変わり、そのまま来たような

話題はいつでもどこでもすり替わる

すべてはネタが新鮮なうちに

  
本当はずっと「がんばれ」という言葉が気になっていた

だからと言って他に言葉が見つからないのだけど

がんばっている人に向かって「がんばれ」という言葉はなんだんだろうか

これは今年でなくてもずっと思っていた

この言葉を今も昔もどう受け取っていいのか分からない

でも今年こそ、

たくさん、たくさん、この言葉は飛び交い、安易さを感じずにはいられなかった

自分には「歌うことしかできない」
 
自分には「演じることしかできない」

自分には「応援することしかできない」

ウソつけ!!な訳ないだろ!!と・・・


だからと言って、俺が何かしたのかというと募金くらいしかないけど

 
今年10月の下旬

舞台の役づくりのため(でもあった、すみません)、仙台に行ったとき

地震のつめ跡、津波のつめ跡を、体感してきた。

仮設住宅も見え、その近くは既にまっさらになった土地、残った建物

   胸を刺す

足元のヘドロ、砂、コンクリートだけのコンビニ

鉄骨の柵が根こそぎなくなっていた威力・・・

    仙台 鉄骨が消えた柵

ボランティアでもなんでもない自分に罪悪感すらあったが

想像の中で自分がうごめいていた瞬間を重ね

当日を小さく体感しました。
 
    仙台 青葉神社


劇中で3月11日に触れる台詞を話すとき、

胸が大きくバイブレーションすることを止めることなく発していたが

何度も揺れる自分の内面にブレーキが時々かかりました

会いたかった人の事よりも、そこに一瞬にして魂をもってかれるような

劇中での本来のことよりも、俺自身が脱線してしまったことをここで告白してしまっていいのか

内面中に勝手に起きてることを否定せずに演じるので何が起こるから分からないのだけど

何度かブレーキをかけてしまってたのは事実で

本来の目的から少しだけ越脱した感情を持ったのも事実で 
  
震災から1年も経たない現在でも、いろいろと合わさって顔を出すほど

傷口は大きく開いては閉じます

  

すべては、たまたま起きたこと・・・と片づけられないが

必然とするのはその後の行動が決める意味であって

必然とするのは客観視が許す範囲の求められた理由で、その後の学びにある

ただ起きてしまったことに、意味を見出すのはその後の我々の大事なこと

さぁ、どうする

この問いに、未だに応えることができないまま

どうする、よりも、出た、を頼りにモノづくりをしてるに留まっています。

 

戦後、戦争を体感した先輩たちが、戦争の苦しさを共有した先輩世代が

築き上げた今の社会環境

その後は便利さの追及から仕事に燃えた世代、

経済成長終わりの残った希薄な家庭の絆や

目的を失った彷徨いの不況

その時代の辛さを共有したからこその明るい未来像へ向かう発展の恩恵を

我々世代が知らないうちに受け取り、今がある

今後、我々世代が共有したこの大きな出来事が、何を築き上げていくのか

当事者として体験していこうと思います。

 
今年は、友人の結婚と、友人の出産が本当に多かった。

30代中盤にもなれば当然なのかもだけど

ただならぬ事態を共有した同世代が、築き上げていこうとするものがそこにあるような

そんな気がしています。

    光のさす方へ
   
長々とした今年最後の日記ですが

最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。

また、2011年の激動の中、応援を続けて下さった皆様、本当にありがとうございました。

気にかけて、愛情を向けて下さった皆様、今年もありがとうございました。

文句ばかりたれて立派にはなかなかなれないのですが

どうか、来年もよろしくお願い致します。

表現を放出する場があることに、感謝。

いろいろあったがワークショップを1年続けてこれた事、それが来年も継続でき

さらに表現の広がりに繋がることを楽しみにしています。

さぁ・・・アナザーワークスへ 



 

2011年12月31日

山縣有斗
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この記事のコメント
あけましておめでとうございます。2011年は色々お世話になりました。貴重な時間を作ってもらって話聞いてくれて、ありがとうございました。体調を崩す事の多かった1年でしたが2012年は健康第一に小掃除、頑張ろうと思います。
2012-01-01 Sun 02:26 | URL | 礼子 #-[ 内容変更] | top↑
こちらこそ、明けましておめでとうございます。

健康的な良き一年であるように、願っています。
小掃除もしっかりと~

今年もよろしくお願いします。
2012-01-01 Sun 19:59 | URL | 有斗 #-[ 内容変更] | top↑
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