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THIS IS コーラスライン
2009-12-01 Tue 03:01

マイケル・ジャクソンの「THIS IS IT!」

観に行きたかったけど、行けないまま終わってしまった。

観に行きたかった理由はひとつ。

舞台創作にエネルギーと情熱を補給してくれる作品と思っていたからだ。

 

観る機会はない、という事で

代わりに

ブロードウェイ『コーラスラインに賭ける夢』

という『コーラスライン』のドキュメンタリー映画を観た。

1週間レンタルになってたからね・・・。

  以下、長文になります、ご注意を

 

観て良かった。

演出家マイケル・ベネットが22人ものダンサーを集め

インタビューした実際の音源から始まる。

構想し、描いた作品、それが『コーラスライン』なのだ。

そのインタビューの音源はこう始まる。

 

「ダンサーは面白い人間たちだ。いつかミュージカルをつくりたいと思う」

 

俺は、マイケル・ダグラス主演の映画しか観たことがなかった。

でも、そのストーリーと音楽は覚えている。

ダンサーというエグイ職業を垣間見たのを覚えてる。

でも、このドキュメンタリーは、モロそのままなので

ダンサーたちの声が聴こえてきた。

ブロードウェーで仕事を求めて必死なダンサーは

ダンス・歌・演技の3つをクリアしなけばならない。

どれか欠けてもダメだとう、脅威の世界。

沖縄出身のダンサーもNYでこのオーディションを受けていて

その声が聴けた。

「この物語は真実だから、ココロを動かすの」

という。

 

いかに真実なのか、この映画を観れば分かる。

オーディションは8ヶ月に及び

想像以上の勝ち残り合戦となっている。

 

ダンスは身体全体で表現する芸術である。

それは、俳優もまたそうであるが、そうと思われていない伏しがあるけど。

このオーディションに参加しているダンサーは

身をさらけだし

歌い

演技する

メソードを勉強してるのかも知れない

ゲイの役から、元スターの役、金銭的に不自由な役

両親との確執がある役、様々な役があるが

それは、もともとマイケル・ベネットがインタビューした

ダンサーの生の姿であるので、それを追憶しなけばならない。

有名な作品だけに

現在のオーディションを受けるダンサーは既に役を知っている

台詞を、歌を、自らの体験として話しているような姿

これを観たときに、感銘を受けた。

 

演出がこう言ったのもある

「演技しないで欲しい」

・・・これが、そう究極の演技であり、生なのだ。

確かゲイ役のオーディションで、物凄い力を発揮していたダンサーがいた。

この人のオーディション映像は見ごたえがある。

審査員や演出家が、その演技を観て感動してしまっているのだ。

俺も、思わず感動してしまった。

この人は、自らの体験を話しているの???

っとすら思えた。

 

凄い。

 

このような人は稀だろうけども

3000人から選ばれた人たちの誰もが何かを持っている。

オーディションで「お疲れ様」といわれれば

「落ちた」

という意味なり

「今日来た女性全員、お疲れ様でした」

って時もある。

その中から、選考に残っていったモノたちは

やっぱり、凄いはずだ。

人生を賭けているし

失業保険がもう切れるから、この仕事が欲しいってモノまでいる。

 

自己解放をしていないことには

できないダンスと演技と歌。

当然、ツッパッてる人は・・・消える。

ダンスも歌も演技も、およそ自己解放という事から逃れることはできない

自分を放出する他ないからだ。

特にダンスは、身体をフル稼働で動きも激しい

当然、出るもんが出ないと面白くない。

まず、ココロを開放しないことには何をやっても動かない。

このTOPにいる人たちは、その姿勢そのものが

コーラスラインであって、そのままの状況であるがため

そのまま、気持ちが反映されている場面が多い

だからこそ、生な部分が観える。

 

プライドっていらないね。

素直が一番だな、と素直に思える。

オーディションに勝ち残り

再演の最後全員で「ONE」を踊ってるシーンがあるんだけど

顔は見事に全てを放出している。

気持ちいい。

まったく「ぬるくない」んだよね。

パッと放出している。

 

喜怒哀楽をも、全て放出してこそ、気持ちいいし

最高の演技でありダンスであり歌なんだ。

改めて実感しました。

多分、プライドでは戦ってないよ、この世界。

そういう人は見えてしまうね、うそが。

この映画にもありました。

 

この1年、ダンスと絡んで舞台を創作してきました。

『我輩は人間である』

『マイハマ・バイス』

『JUN AI CODE』

 もっと前は・・・

『レザボア・キャッツ』

 また、一歩前に出れそうです。

 

おれ自身、観て来たダンスの絡む作品は

或いは、ダンス公演は・・・

ダンスが形での感情表現である、という間違った解釈が

わりとダンサーの間で蔓延してる気もした。

さらに言えば、HIP HOP クール!っていう・・・

クールに笑顔、「私ってかっこいい」っていうもの。

 ありかも知れないが、魅力は俺は感じ得ない。

 

この映画には

「ダンサーは鏡を見て成長する。自身を磨く」という。

それはつまり、自分を見つめる、知る、という事で

己を開放していくという事だ。

 

カッコつけろ!ってことではない。

フリを覚えるための鏡じゃない。

『自分という鏡』なのだ。

演技もそうだね。

 

山縣作品においては、それを、これからも大事にしていきたい。

ダンスもそうありたい。

大学や専門学校やスクールでのレッスンがあったとしても

殻を被った教授や先生に何ができるだろうか・・・

技術や理論や流行があると思うけど

根本は、変わらないんだねきっと。

 

上手いのがいいんじゃない

上手いといわれてるものがいいんじゃない

私生活、社会で生きる人、俗世で生きる人、その人たちが

体感してしまうほど、心動かされるものが素敵だよね。

 

きれいな人が、身体のラインが美しい人が・・・

って、それは飾って美しい置物で

内面から広がる美しさが美しい。

 

あるダンサーが言ったよ

「ダンサーの足は汚いよ」

それって、最高に美しいと俺は思います。

 

そんな裏の世界は見せてはいけない

そういう訳じゃなく

そんな裏の世界もしっかり背負って、苦悩して、笑って

泣いて、そんな「あなた」が曲にまんま乗ることが最高である。

 

演技もまたそうである。

芝居もまたそうである。

「コーラスライン」再演の演出家は、言葉こそもう少し勉強して欲しいけども

演者に対して演出をもう少し勉強して欲しいけども

って思った俺は何様か!って話だけど

それは、ちょっと感じました。

俗な演出方法ではありました。

 

偉そうに言う俺は

日々、死にそうになりながらもがく、社会的に堕落した人間であります。

でも、コーラスラインの現場を垣間見て

さらに自信を持てました(勝手な解釈だけどね・・・)。

 

日本におては、誰でも舞台に立てちゃう世界で

何か足りないものを埋めるべく、立っちゃう世界で

人が足りないからお願いって立っちゃう世界で

本当にココロから役を求めてはなくて

『舞台に立つ』という覚悟が小さく感じられてしまう

 俺もかも・・・

 

その代わり、誰にでもチャンスはあって

でも、自己解放が魅せるパワーを知らず、方法論も知らず

永遠に寂しいパラレルを突き進んでる。

 

役者、ダンサー、演出家、歌手がアーティストなら

アートをキャンパスにぶつける作品に携わりたい。

俺は、正直・・・ぶっちゃけていいかな?怒られるかな?

あんまりオーディションって受けたことはないんだけど

ココロから手にしたい役に出会ったことはありません・・・。

(だから落ちるのかな???あははは?)

 

だから、描くんです。

自分を紙に。

 

だから、舞台に自分の身体を乗せるのです。

 

興奮して、かなり長文になっちゃったけど

コーラスライン

いい刺激になりました!

 

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