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外食って特別だったよなぁ、あの頃。消えゆく町並み。
2014-10-02 Thu 23:02

10月に入りましたね


気がつけば、近所の『鰻と鮨』のお店が店を閉じ・・・
家が空っぽになっていました。

老舗で、この町で、かつて
わいわいと鰻を食べたり鮨を食べたりと
近所で交流があっただろうと思われて
寂しい

この店主の爺さんは
カブで鮨の出前をしているのを何度も観てるし
店を閉じる事になるとは思わなかった

気がつけばそのお店の前に
鮨の皿やらグラスやら盆やら、「ご自由にどうぞ」と
置いてあったのが9月
他、椅子やら何やら・・・
孫の女の子やらお母さんやらが
せっせと店から出していた
二階に一家で住んでいたと思うんだけど

灯りはずっとあったのに
10月1日になり

もぬけの殻・・

「売り家」と記載があった。



過ぎ去りし昭和の『鰻と鮨』のお店


実は半年前くらいには
もうひとつの近所の鮨屋さんが閉店した。
そこは爺さんひとりでやっていた様子で
そこで生活が続いてる

でも、寂しい感じが漂っている

そして、同じく近所の蕎麦屋があったのだが
実はこれは2年前くらいに閉店
この閉店時も、店の前には「ご自由にどうぞ」と
蕎麦屋で使うざるやら湯のみやら
置かれていた
老夫婦がやっていたようだけど
今も住んでらして
ちょいちょい道路の様子を観に顔を出す

青いシャッター降りたまま
2年が経過している


一度は行こうかななんて思っていたけど
結局、一度も行かなかった蕎麦屋

鮨屋もそうだろうけど

この町で、ちょっとした家族の外食の楽しさを
提供していたに違いなくて
想像すると、なんとも言えぬ感覚に襲われる
  


そして






外食 山縣有斗

俺もね
子供のころ
外食ってほとんどなくてさ

家族貯金箱みたいなのがあって
それがいっぱいになったら、小銭数えて

レストランに行くっていうさ

そんなイベントが我が家にあって
田舎だと、そうそう日常で外食ってないからさ
もう、楽しみで楽しみで

車で15分くらいの
豊北町で唯一のレストランだったかも
確か『後醍醐』っていう名前だったっけな?
そこへ行くわけさ

そこでステーキ定食を食べることが嬉しくて嬉しくて
確か1000円だったか
1000円もする料理を食べる興奮と
ステーキという響きと
個人用に鉄板がある事の贅沢さ(今は普通だろうけどさ)
俺だけのステーキっていう特別な感じだよ

ウマかったし
楽しかったし
外食という特別感は、かなり興奮していた


きっとさ
きっとね


この閉店した、『鰻と鮨』『鮨屋』『蕎麦屋』も
そんな家族や子供の団欒や
興奮や
特別感を演出していたと思うんだよ
しかも、シースーだったら尚更だろ???



シンクロする


東京の住まいの近所のこの店たちは直接的に
お世話になってないけど
なんか、、、、

お疲れ様でした。






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