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バッタ
2011-01-13 Thu 01:58
イソジンがきれた。
 
突然、皆様にはどうでもいい報告ですみません。
 
イソジンがね、きれたの。
 
この冬を越すには必須アイテム。
 
でも俺は春夏秋冬、帰宅時に必ずイソジンで1杯やるのが日課です。
 
もちろん、手洗いもしまっせ。
 
 
それでも風邪ひいたりするから、どないせっちゅうねん!ってとこはあるが
 
気休めでも、必須アイテム。
 
そして、買いに近くの薬局まで行ったけど
 
イソジン高っ!!
 
1280円もしよったぞ。
 
いつも大サイズ280mlを購入してるから、年間2回くらいしか購入しなくて済むんだけど
 
こんな高かったっけ?って
 
まぁこんなに高かったっけ?って毎回思ってる気もするんだけど
 
こんなに高かったっけ?って毎回思ってたことを今頃思い出したわ
 
 
で、イソジンの隣を見ると、イソジンによく似たイソジンっぱさ丸出しの
 
『ポビドンうがい薬』を発見
 
妙な名前だが、こちらは特価780円!
 
そして、量もイソジンより多く300ml!!
 
 
ブランドに弱い俺は、気持ち『ポビドンうがい薬』を見下した。
 
こう見えてもブランド志向なのだ(うそ)
 
 
この値段の差に驚き、入ってる成分をイソジンと比較した
 
気になるその中身は・・・まったく一緒の成分じゃないか!?
 
さらには、大事な何たらかんたらの分量も一緒。
 
ええ!!
 
バファリンの半分は優しさでできている
 
そんな抽象的な中身でなく、成分的に、つまり化学的に同じなのだ
 
お前たちは双子なのか・・・
 
お母さんは一緒か?
 
そう思わせるほどだ。
 
なので、安いそっちをチョイスして購入!
 
帰ってさっそく『ポビドンうがい薬』で1杯やってみた。
 
お、同じだ。

お前はイソジンと双子なのか・・・
 
お父さんは一緒か?
 
実は、ちょっと香料が違うっぽいが・・・
  
全然、問題なかった。
 
かくして俺は、ブランドに勝ったのだ。
 
この価格の違いに、ブランド力に負けることなく、このパチモンに、いやバッタモンに、いや・・・
 
それ自体オリジナルのポビドンを選んでよかった。
 
 
 
待てよ、、、
 
これって、そもそも中国のバッタモン大国中国のドラえもんやポケモンやウルトラマンの着ぐるみ報道や
 
記憶にあたらしい遊園地のビニール製大型バッタもんガンダムを思い出さないか?
 

これらの、バッタもんたち
 
例えば着ぐるみのドラえもん、各パーツは一緒なんだよ。
 
成分は一緒なんだよ、ただ形になったクオリティに問題が若干あるけどね・・・。
 
下手くそなのかあえてそうしてるのか・・・似て非なるモノのアピールなのか
 
ギリギリのところで戦っているでしょう、きっと
 
クレヨンしんちゃんの着ぐるみも各パーツ、いわば成分は一緒なんだよ
 
ガンダムもそうだ。
 
ただ、『ポビドンうがい薬』のように香料が若干違うだけ、といったような
 
若干の違いにより、非なるものになっているってこと。
 
待てよ、待てよ・・・
 
ってことは、中国のバッタモンに呆れつつも・・・
 
こんな身近に同じようなことが起きてるってことになるのかな
 
ってことになるね。
 
先日、毎日の生活の炊事により、手荒れ起こったのでハンドクリームを買いに行きました
 
それもまた近所の薬局ですが、、、
 
種類が多すぎて、買うまでに30分くらい悩んでしまった。
 
しかも中身が微妙に違ってて・・・コエンザエムQ10配合モノは同程度のものが他にもあって
 
競争という名の同種が多数集まっていた。
 
 
これはなんだ?
 
特許が出てないうちは、そりゃそりゃっと話題の成分でマネをして
 
同じ種類たちが競争してる状況
 
 
問題になった中国は特許が出てるアニメ商品たちだから問題であって
 
そうでなかったら、それはそれでいいのかな?
 
 
高級ブランド商品のバッタモンもまた、同じで
 
本家が収益で損をするし、営業妨害であるし、ブランド力が下がる(ほんとは逆に上がるんだけど)
 
そんな構図でしょう。
 
 
道徳的に、この『ポビドンうがい薬』とどの程度の差が存在するのだろうか
 
誰か教えて欲しい 
 
 
中国のバッタモンの問題の中、中国人がインタビューに答えていた
 
「だって本物は高くて手が出せないから、しょうがない」
 
※これはガンダムのプラモデルのバッタモンの話だったけど
 
 
『ポビドンうがい薬』を購入した俺の動機は、彼らのこの答えに一致している。
 
しいて言うなら・・・イソジンは手が出ない程ではないってことくらい
 
しかし規模を大きくして考えたら
 
俺の購入動機は、彼らの意見の縮図であるのことには間違いない。
 

 
ううん、妙だなぁ・・・
 
中国のバッタモンに呆れ顔の報道陣、且つ少し馬鹿にした態度の報道
(俺は見下してるのを報道から感じてます)
 
IN JAPAN においてもそんな変わらないぜっていう。
 
安い衣服だってそうだよ
 
流行のかたちを安い素材で作ってるわけで、ブランドのマネをしている
 
ジーンズなんて、980円が出てくるくらいだし
 
それって、それって、成分一緒だぜ。
 
その格安ジーンズも、バッタモン大国中国で低賃金の過労で生まれたジーンズで
 
それを輸入して日本で販売してんだぜ
 
リーバイストラウスは生きてたら怒ってたのかな?
 
 
妙なもんだな。
 
  
このBLOGで何ら答えは出てこないけど、少し違う視点でみてみて考えてみよう
 
 
ある国で、ある病気のワクチンが開発されて、その科学者は特許を取らなかった
 
という実話があります。
 
詳しくは忘れてしまったけど・・・
 
報道陣や人々は、どうして特許を取らないのですか?と信じられない口ぶりで聞いた
 
そして、その科学者が言った
 
「世界中でこのワクチンが製造されれば、それだけ人が救われるからです」
 
こうして、その科学者は特許と取ればウンゼン億円にもなってたであろう特許を取らず
 
後世、ほどほどの生活で幸せな人生を過ごしたとか
 
 
このことはアニメキャラに当てはまらない例ですが・・・
 
 
最近のバッタモンニュースには、突き詰めるとこうしたちょっとしたジレンマが発生するように思われます。
 
 
ううん、俺はアホだから分かりかねます。

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時代のアーティスト
2011-01-09 Sun 22:45
食ってるか~餅を!
 
たとえ、たとえ正月が終わろうとも
 
雑煮だけは忘れない
 
今日も雑煮をつくりました。
 
 創造した雑煮

      雑煮でGO
 
この汚い表情を写メするのに口の中の上の方を火傷しました・・・。

何やってんだ俺は・・・。
 
 
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悲しいニュース
 
【ミニシアターまた閉館】
1980年代以降のミニシアター・ブームの一翼を担った東京都渋谷区道玄坂の映画館「シネセゾン渋谷」が2月27日の上映をもって閉館することになった。
同館は85年11月、フェデリコ・フェリーニ監督「そして船は行く」を上映したのを最初に、国内外の個性的な作品を上映してきた。
同区内では、94年10月に開館し、ウディ・アレン監督作品などを数多く上映してきた「恵比寿ガーデンシネマ」が今月28日を最後に休館することを決めており、映画ファンに親しまれてきたミニシアターが相次いで幕を下ろすことになる。

シネセゾン渋谷、続いて恵比須ガーデンシネマまで・・・
 
ああ、何とかならのかなぁ
 
メジャーばっかりがでかい面して歩く世界にならんでくれぃ
 
大好きな映画「25時」を観たのは恵比須ガーデンシネマだったし
 
なんだかなぁ
 
じゃ、もっと小さい単館中の単館上映にならんかなぁ
結局、人が入らないとお金にならんっていう悲劇がアートを踏みにじることになりかねない。
商業主義よ、その波に乗らんと生きれないことは分かっちゃいるんだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
分かっちゃいるだけども
 
そっちに行かないと誰も振り向いてはくれないのか。
生きるに値しないのかなぁ
 
世間はそんなふうにシビアに見るしね
 
とても残念だね。
 
 
2010年の音楽年間売上チャートのTOP10も恐ろしい
 
嵐、AKB48が独占・・・。
 
アーティストはどこへ行ったんだろうかっていうさみしさが感じられて感じられて
 
彼ら、彼女らは、ダンスやライブっていう体力訓練など勝抜き精神的プレッシャーはあるが
 
大きくいうと、カラオケCDを出してるに過ぎないってこと・・・
(言い過ぎた?ごめんなさい・・・)
 
俺も彼が好きなんだけどね、萌え萌えだけどね。
 
しかし、ちょっぴり残念。
 
まわりが一流の人たちで創造してるっちゃしてるんだろうけど
 
宣伝に次ぐ宣伝の力、街頭、テレビ、ありらこちらで露出を多くさせてもらっての影響力
 
売れる為の構造大放出があってのことでもある
 
他のアーティストたちは、そういう業界だからって見切りつけてんのかなぁ
 
ヒットしてもCDが売れないから食えないアーティストもいるだろうし
 
なんともさみしい実情があったりするよね。
 
どこへ流れていくのか・・・。
 
 
 
どこかでだれかが才能をくすぶらせたままになってることがあるなら
残念中の残念
努力が足りなかったね
チャンスに恵まれなかったね
さぁあなた仕事について忘れなさい

で終わってしまうのでしょうか
 
「評価される」「人に喜ばれる」「創造を続けることができる」
 
素敵なループは「縁」で回るけど
おいしい匂いがしたとき、「縁」が「円」になり回りだす
「円」が「煙」になったとき、「縁」は消えていく
 
死んだ魚の目の人が増えていく・・・
 
 
最下層ではね
才能無い人がなぜか演出をして、才能を潰してたり・・・
才能ない人同志がああでもないこうでもないって言い合って、才能ある人が疲れたり
才能ない人が才能ある人に嫉妬して、小さくごちゃごちゃしてしまったり
しょうもない作品が大げさに生まれてたりする
 
何をもって「才能」というのかは、定義は難しい
 
でも、足が速い人がいて、同じ時に生まれて同じような運動量で育ったとしても
足が速い人と遅い人ってのは分かれてしまう
それは遺伝や才能による
 
育まれた環境にもよるし
 
しかし「ここの部分において自分には全くセンスないから人に任せよう」ってなかなかできない
だから、起きてしまうエゴのぶつかり合い
 
でも、それをよくよく考えたら
このTOP10を否定できなくなってくるの事実があったりする
歌を歌って楽しませる訓練を積みその力しか持たない人がいて
曲など創造できないことを自覚して、創造できる人に任せ
時代にうけのいいものに掛けては才能を発揮する嗅覚をもつPが存在し
時代にうけのいい曲なら創造できることにたけた作曲家がいて
適材適所で創造されたものだからだ
才能の結集と言えるのだ。
 
そこのアーティスト性高く、作曲家がもっと主張できるものがあればさぁ
 
もっと歌う人も素敵になるんじゃないかなぁって
 
そんな発想はでませんか?
 
 
2011年、どこへ向かうのでしょう。 
 
映画館もどうか生き抜いて下さい。

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通勤ラッシュ
2010-11-27 Sat 02:00
有斗コラム、第二弾ですよね。
 
 
ちょっと、あるエピソードから順に入っていこうかなぁと。
長いよ


 
ある朝、通勤ラッシュの中、電車が何かの影響で遅れてしまっていた。中はぎゅんぎゅんのすし詰め状態になり、次の駅につくとさらにぎゅんぎゅんになる。
ところてんを作る箱だったら、大量のところとんができてしまうほどの押されようで・・・
当然ところてんではないから、出ていく穴もなくもう入らなないだろうというくらいのすし詰め状態になるわけで
乗ってる人たちは、会社に遅れそうで、また苦しいのとで、押されて痛いなどで
電車の狭い箱の中は、イライラという名の空間が支配していた様子。

俺も、押しつ押されつして苦しい時間だった。
そして、降りる駅についた時のこと。
ドアが開いても、降りる人がドア付近の人だけで奥に押し込まれてしまった人たちがなかなか外に出れない状況になっていた。
俺の横の女性も「すみません、降ります!」を繰り返し、人間という壁に突進していく。
その姿は、か弱き女性の姿ではなく、イノシシのごときパワーだ。
しかし、そのイノシシパワーでもびくとも動かないような状況だった。
降りない人は、一度降りたら、また入る人の波に押されてしまって今いる位置よりもさらに不利な位置流れてしまいそうなのでめったな事では動かないと決めてるような様子。
俺も降りたかったので、必死のその女性の後ろをついていった。
 
すると、女性の前にひとりのおっさんが立ちはだかっていた。
そのおっさんはつり革に掴まったまま、降りる気配もよける気配もなく、ただ女性に押されている。
女性はさらに言う「すみません、降りまます!降ります!」
ちょうど目の前だったおっさんは、ぐいぐい押されてしまい、ドアの方に流されていくが
バランスを崩して一生懸命つり革につかまった。
まるでおっさんだけが波に押し流されているかのようだった。
他の人は堤防のごとくかたまって動かない。つまり、おっさんが川の中の遺物・障害物のような状況だったのだ。
おっさんは、息継ぎもできないような様子であっぷあっぷしていた。
 
それでもドア付近は人が出れるスペースが狭い。
ドア外では、早く出て来い!と大勢の人が手をこまねいて待っている。
女性は、おっさんが邪魔だと思いさらにイライラして大声で言った。
「降りますって!!」
 
そして、おっさんは力を振り絞って答えた。
「降りるのはわかってんだけども、俺は足が悪いから言うこときかないんだよ。」
 
 
一瞬、空気が止まった。
 
 
おっさんは、それでも一生懸命道を空けたつもりだったが
少し曲がった足で身体をよけることができず、その女性に押されるようにドアの外に出た。
女性は無言で歩き去った。
俺は、その女性が空けた導線を通って電車を降りることができた。
おっさんは、駅の壁際に持たれて、悪い方の足をいたわっていた。
 
電車に大勢の人がまた乗り込む。
ドアが閉まる。
そして、電車は動き出した。
今度は乗り換えやら、改札に向かう人の流れがホームを洗い流す。
その流れの中、おっさんは降りるつもりがなかった駅のホームを足を引きづりながら歩き出した。
 
あの女性の姿はもうない。
あっという間に、流れに身を任せて消えていた。
 
俺はなんだか悔しくて、恥ずかしくなった。
それで「大丈夫ですか?」と一声かけようかと思った。
目の前で足を引きずって歩いているおっさんの背中が、妙にひっかかる。
でも、声を掛けることができなかった。
 
なんじゃ、こりゃ・・・。
 
 
とまぁ、話は長くなったけどこんな話で。
どこに、この話は向かえばいいのだろうか、それが疑問だ。
簡単に正義を言いかざすな、という事か?
弱者は満員電車に乗るな!か?
弱者には名札をつけろ、ということか?
あるいは、会社が出勤時間を遅らせばいいのか?
あるいは、遅刻が厳禁の会社ルールが悪いのか?
あるいは、その女性の苛立ちが悪いのか?
あるいは、いらだたせた満員電車そのものが悪いのか?
あるいは、電車を遅らせた何らかの事故が悪いのか?
 
 
あるいは・・・すべて不運ですね
  
 
さぁゴールが分からなくなってきた。
俺もその日が撮影だったら、どうしていただろうか。仕事に遅れることは仕事を失うことを意味してくる。
信用を失うからだ。
その日、たまたま撮影だとして、たまたま女性のポジションに俺がいて、間に合うか間に合わないかの瀬戸際だったとしたら、俺はどうしてただろうか。
 
どちらにも言い分があるのが世の中だ。
でも、この根本を社会構造の中にある、と思う人はそうそういないかも知れない。
何十年と培ってきた、追いかけて構造してきた、この社会の成り立ちに欠点があるのではないかと思えてはこないだろうか。
本当は、どこかで、ちょっと思ってる人もいるかも知れない。
口にすれば甘えていると言われてしまいかねない、難しい問題だけど。

そもそも、どうしてそんなに我々は朝急がないといけない世界にいるんでしょうか?

働きは時間に換算され、お金に換えられる。
これは当たり前だ。
雇われている以上、それはしょうがない。
あなたの時間は、買われているのだから。
 
いや、実はこの当たり前の構造から既に、違っていたら?と思えてならない。

「ありがとう」を相互に交換しあった関係であれば、雇ってる側が偉くはならないし
雇われてる側が卑屈になることもない。
理想主義だけどね。
自由をうたっておきながら、多くの強制の中で生きてるからに過ぎない結果だとも言えるのではないだろうか。
その社会強制から脱退すると、途端に食えなくなるわけで。
義務なのか、強制なのか、という議論はここでは置いておくことにするが・・・
 
ここは問題解決する場所ではないので、これくらいにしておこう。
でも、根本から考える力が必要な時期にきてる気がするだよ。
生まれてから小中高で社会に生き抜く為のサイボーグを作る教育システムがあり
うまく生き抜くようプログラムされながら、立ち止まったら生きれなくなり鬱になるシステムから、脱出しよう。
まさに、そんなサイボーグたちが朝の電車ボックスに老若男女あふれている。

功利主義・自由競争主義・資本主義・・・
違う何かが必要なのは間違いないよね、なのに成長している中国はなおさら気にかけず進み
そこに群がれと必死に周りは食いつく。
ボロボロになった環境を、エコでポイント還元してお金は大きく動く。
よくできてるけど。
 
多くの人が狭い箱から出れずにいるのよ。
その箱から出て、その箱をゆっくり見る機会が日本中にあればなぁと少し思います。
ところてんの箱のように、穴を開けてくれればにゅるにゅるって何か新しい形が飛び出すかも知れないね。
 
そして、俺もまた、箱の中で泣いています。 
 


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コラム:セクハラサイコロをふる
2010-11-04 Thu 22:51
ちょっと気分転換に「コラム」と称して、この日記を時々書いてみようと思います。
たぶん、文章長くなるから気を付けて下さい。
 

【セクハラサイコロを巡る思索】
 

サイコロ 
 
昨今話題になった入間市小学校教師のニュース。
流れて、多くの人が呆れてしまったのではないでしょうか。
俺もそのうちの一人だった。

ニュース参照
埼玉県入間市の小学校の男性教諭(59)が、担任クラスの6年生の児童に対し、各面に「キス」「ハグ」などと書き込んだ教諭の手作りの「セクハラサイコロ」を用いた罰ゲームをしていたことが26日、明らかになった。
児童の保護者らが苦情を寄せたことで発覚した。同校は25日に保護者会を開いて謝罪している。教諭は「子供が喜ぶからサービス精神でやった」と説明したという。



映像でのこのニュースを見たとき、変態教師、ロリコン教師、とテレビに向かって罵倒した。
意外と、テレビと会話するんだよね。
そんな俺もまた変態であることは二の次にしておこう。
忘れものしたら罰と称して、サイコロを振って出た目の指示に従うという考えただけでも王様ゲーム寄りなイメージで少々びびってしまうのは否めない。
ニュースでは、子供の証言がモザイク付で流れ、その子の親の証言がモザイク付で流れ、
教師そのものモザイク付でコメントした。
「セクハラという意図はない」と弁明していた。
それは浮気を言い訳するように言えば言うほど怪しくなって聞こえてきた。
学校側の謝罪も、最初謝罪はなく、何やら先生を擁護するようなコメントだったと思う。
この小学校やばいなぁ~って思った。
 
そして、先日このニュースを話題に話を友人とした。
すると、「ニュースはでっちあげだ」という話になっていった。
何を言ってるのか!?
すると友人の友人が入間市の人で、この変態教師を知っているという。
直接有人に電話して話を聞いたと。

この先生はみんなに慕われていて、とても人気のある先生だという。
ニュースで言われる変態ハゲ教師ではなく、ユーモアのあるハゲ教師で授業は楽しかったという。
ここであえて「ハゲ教師」と呼んだかは、彼が自分でそのハゲ頭をネタに子供から笑や差別を伝えていたというからだ。
さらには、ニュースでコメントした親子はモンスターペアレントで有名な親子だという。
先生は子供と一緒になってサイコロを楽しみ、男子生徒に向かっておこなっていたらしい・・・
その後、男子生徒が女子たちにもないのがおかしい!ということで、生徒と一緒にこの女子生徒版のサイコロをつくったという。

  
そして、今mixiなどで、この教師の元生徒たちが擁護して
「先生を辞めさせないで欲しい」と署名運動をおこなっているという。
その日記を少し拝見させてもらいました。

 
さてさて・・・
前ふりが長くなってしまったけど、ここからが問題だ。
これは、『報道は真実を伝えているかどうか分からない』という問題を大きく浮彫にしたように思われる。
教師の不祥事は確かに多い。
だからこそ、このニュースが流れた瞬間に見てる側は基本的に教師に悪意を感じてしまうのだ。
情報操作された、一方の側からの目線で伝えられた情報。
多くの人がきっと、「変態教師」と受け取ったに違いない。
コメンテーターもそろいにそろって、「あるまじき行為」と称した。

さらに、この事件がどうして一斉に表舞台に登場したのだろうか・・・
モンスターペアレントだけの発言でテレビ局がこぞって取材に向かうのだろうか・・・
これもまたおかしな問題である。
マスコミが面白い!って食いついたとしても、妙なもんだ。
これもつまらない噂を聞いた。
この先生は、暴〇団系に脅されたって話。
これは、情報としては何の信憑性もないけど・・・実はよくある話だったりもする。


学校側の謝罪会見で、学校側は謝罪の前にこの教師の人格をまず擁護した。

これはテレビで見た情報なので、謝罪前にこの教師の人格擁護したのは編集によってずらされたのではなく時間経過をそのまま流した映像だったので事実と受け止めることにする。
つまり、学校側がこの先生の否を認めきれていないことを意味するのではないだろうか。
これは憶測に過ぎない。
しかし、謝罪前に事件を起こした教師の人格擁護をするのは非常に筋が通らないのだ。
学校という閉鎖的な中で、常識もない世界であるかもしれない。
それを踏まえて見ても、この事件がマスコミの不本意な報道からきていることを意味していると考えると筋が通るのだ。


セクハラの定義:性的な嫌がらせ。
相手の意志に反して、不快や不安に追い込む性的な言葉や行為。

先日フジテレビの情報番組『とくダネ!』にて、この先生の担任クラスに無記名で行われたアンケートにてセクハラサイコロはあっても良いと思う生徒は33人中31人だった、という。
つまり、2人の生徒がこのサイコロを性的に不快で不安に思ったことになる。
それは、『セクハラ行為をした』ということになる。
だから、報道としてはセクハラ教師という言葉は当てはまることになる。

しかし、それは事実ではあるが真実なのか。

一部mixi日記による元生徒の日記を読んでみてほしい。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1611691814&owner_id=31392050
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1612483783&owner_id=16721832



既に、ここまで読んだ方は、報道による変態教師というイメージが払拭されつつあるのではないだろうか。
まだ、ぬぐいきれないモノがあるかも知れない。
ある行為に対して、捉え方は人それぞれで自由だ。
それ故に、定義するのは難しい。
しかし、本当に性的な不快を受けて、苦しんでる女子がいるのであれば
効用と効果から考えると、このサイコロは不当なものだったとせざるを得ない。
 
この教師は「セクハラは絶対にしていない」とコメントがあった。
だとすれば、それは「認識の相違」ということになるのかも知れない。
苦しむ女子を認識できなかった過ちかも知れない。

問題は、報道の真意とセクハラの定義なのか。

面白おかしく報道された、かつての王様ゲームこそ犯罪の塊ということになる。
どうしてその報道は悪意より面白いおかしく伝えられたのか。
ジュリアナ東京のお立ち台は逆セクハラとして犯罪にならなかったのか。
あのお立ち台の上には、社会を動かす大企業の女性もいたも知れないし教師もいたかも知れない。
 

どうして、多くの人がこの教師を擁護するんだろうか。
また、これほど擁護される先生って、いったいどんな先生だったろう。
映画やドラマじゃなく、この先生から巣立った生徒たちが異議を訴える。
逆に、こんな先生が小学校にいるってすごいことなんじゃないだろうか。
あなたの周りに、そう擁護したくなる先生はいるだろうか。
少なくとも、俺の中には数人いる。
大事な恩師だ。


公平に判断するには、この先生の授業を受ける必要があるかも知れない。
サイコロを使用した意図を理解する必要がある。
ある一点だけを見ての判断は難しいのだ。
点と点を結ぶ必要がある。
報道と渦中の人との「認識の相違」はどうなるのか。
報道の謝罪はあるのだろうか。
 

このセクハラサイコロを巡る思索は、ちょっとだけ問題を投げかける意味で書きました。

この先生の人生で、たまたま今回サイコロの悪い目が出ただけだったのか。
いつの間にか、俺も先生を擁護してしまっている。
でも、真実がきっと違うサイコロの目を出すことを願います。


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