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2016年さようなら よいお年を・・・
2016-12-30 Fri 17:36
無事に暮れ行く2016年

今年も大変お世話になりました


自分のライフスタイルが、どんどん自然と合わせて

変化してきている


今年は、登山にたくさん挑戦し

上高地から涸沢へアルプスに挑戦もできたし

BBQはもちろんだけど

キャンプも久しぶりに楽しんだ

そして、富士山マラソンにも飛び込めた

 
昨年俳優としては

致命的な怪我してから復帰まで半年以上かかったが

やりたい事として

日本が反省なき右傾化に向かう事に喝を入れるべく

『ペリソロ』という独り芝居(本当は2人芝居)もできた

俳優や脚本家というツールを生かしながら、

世界に伝えたい事でステージを踏むのは大きい

 
脚本家としては、ミュージカルが無事に上演され

書いた歌詞が、子供たちの声を通して広がる体験は素晴らしかった


演出と脚本で小学校を回る少人数の演劇の企画を

公益財団法人日本青少年文化センターより流れ着き

携わる機会で、また稽古場を回す楽しさを味わっている

  

ここ数年で生きてる実感が一番持てた年だったように

感じている


それをこれまでの出会いと

新たな出会いが

可能にしてくれた事

本当に、ありがとうございました
 
<m(__)m>

  
  

★表現者として

俳優 脚本家 演出家 絵描き

「あなたはいったいどれなの?」

と時々愚問を頂く


それは、何度も応えるが

本当に何度も応えるが


表現者は、媒体をその都度選んで放出しているんだよ

って事です

あなたの小さな定規で計らないで下さいな

と何度も聞く人には言っておきたい

理解させようとは思わないけども

理解してもらえた人がいると、ほっとします


そして、表現者の前に

人生を豊かに楽しむ旅人です

 

時々、どうして俳優なのにもっとテレビや映画や舞台に出演しないの

どうして?どうして?

もったいない

などなど言葉を浴びされます
 

嬉しい言葉ですが

別にもったいなくないよ

自分が出演したいと思ったものとうまく繋がったら嬉しいけど

なかなかそうもいかないし

本当に出演したいものも意外と少ないんだよ

と言っておきたい


同業者の姿勢を見てがっかりすることもあり

つまらない映像作品や俳優のつまらなさを見て

がっかりすることも多い

逆に熱くなるシーンが一部であれば、とても嬉しくなる

その一部と出会うのは大変な事なんだけどね

舞台を10本観て1本あるかないか、ぐらいだよ

自分に正直に言うとね

 
だから、自分で創作した方がとっても素敵な人生を楽しめるのさ

商業やテレビがほとんど言えない事も

本気で叫べるしね


他を否定するつもりはないよ

感性や表現力が違うだけと知ったから

好みもあるしね

それだけの事だよ


★40歳という世界へ来ちゃった

そんな俺も

12月19日で、遂に40歳に到達しました

ひとりで生きてきたわけはないし

助けられているだけだし

それでも孤独を感じる事があるだけだし

甘えていたいし(笑)

愛情がたくさん欲しいし

大人になり切れないまま

来ちゃったよ


でも、みんなそうなのだと気が付いている

子供心を隠してたり

抑えざるを得なかったり

本当は我慢してる事を知っている

 
40・・・

太宰治の39歳を越え

40歳と2か月を越えたら、俺はジョン・レノンをも越えてしまう

しかし、『超える』事はないだろう


でも、随分と自由にものを見て

妙な事は「変」とちゃんと言えている事に

子供でよかったと思う

大人は言わない人多いらしいよ、「変」って

おかしいよね


本当言うとね

俺は実は、凄く凄く臆病

社会なんてしょうもない枠だと思っていながらも

たとえば「結婚」という文字を浮かべると

どうしてもお互いに愛があればいいじゃないって思っていても


ご両親の事などを考えると

一般的な大人社会の社会人でない事に

普段感じるはずもない、負い目を感じてしまう事があるだ

安定もないし、保証もないし

それを見立てて積み立ててもない


「ただ、感性を開いて今を生きてる」だけなんだ(笑)


と大声で言って生きていても

妙に、家庭を持つ、そこの前に立つと、俺は一瞬しゅんっとなる


都合いい社会が生んだバカらしくも感じる

誰かの都合の良い、頑張って働くシステムや

マネーゲームに勤しむ不労所得人たちや

どうしても紛争や戦争に使われるレールの一部にいる企業や

「今だけ、自分だけ、お金だけ」ではりきってる官僚や企業や

ぎゅっと凝縮して・・・

2時間制ぽっきりなシステム化された結婚式の在り方や

そういう事があって、

そんなアホらしいライフスタイルは捨てましょうと思いつつも

結婚という前には

どうやら、社会性の壁がふと芽生えるんだ


これってすごいね、どんだけ植付があるんだろう


あれ、なんで結婚の話になってんだろう


まぁ40歳だからね

しょうがないし、こんな世界だから

バカな事言うんじゃないよって言えるくらい

この社会にどっぷり浸かって生きてる人たちには、きっと

きっと 俺は

バカなピエロに映るでしょう・・・


    40歳のピエロ 山縣有斗 

 
      ~・~~・・~~・~
    『40th Self-Portrait 大人になれない』
     アクリルガッシュ画
      size:F4
      ~・~~・・~~・~
 
実際に、そうなのかもね

俺が正しいのか、そっちが正しいのか、それは

もう、自分のハートに質問し続けるしかないんだ



で、答えは、見えてるけどね

だから、俺は、俺のビジョンやライフスタイルの中で

応えていくと思う



そして

今年最後の絵画作品

40歳の自画像



今年は過去1番、作品を描いた

そして、スタイルも影響も変わって、表現は広がっている!


来年もまた

新たな世界を・・・

世界を少しでも、BETTER にしていける

その為の力を使っていけるように・・・



2016年12月30日

山縣有斗
 
  
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ちょうど1年前、救急車で運ばれた夜。
2016-11-08 Tue 21:40

ちょうど一年前の今日

生まれて初めて救急車で運ばれました


『超絶ヒーロー』の劇場入りの前々日


稽古中の事故でしたが

詳細は伏せておきますが

思い出しただけでも、不思議な感覚が蘇ります


2016年11月の山縣有斗  

医者は最悪を想定して、最悪の可能性を示唆して

きっと、そうならないで済んだ時に、

「凄い」と患者に言って元気を与えるいう常套句なのかもだけど

本当に最悪の可能性の話をされた時には

「そこまでして、俺は何やるってんだ?」

とか思う事も忘れて・・・

もう、誰が止めようと、「これだけは終わらして、後はいいや」

なんて、勝手に想ったりして

救急車で運ばれた、東京大学付属病院には

稽古のままと、あと片づけてしたあと

駆けつけてくれて、ドラマみたいに外に椅子に座っている姿を見た時には

この興行が成り立たなかったら

意味がない

そう感じた・・・でも

「医者としては止めます」と言われドアを開けて出てきたときには

「大丈夫、本番やるしかない」なんて言葉は

まったく出てこなかった


「夜間で、ちゃんと見れる医者がいないので明日朝出直してきてからの判断」

そんなふうに言ったような気がする

皆も疲れがピークだったでしょう

不安がたくさん過ったでしょう

その時点で帰ってもらったと思う

そして、俺は俺で

応急処置終えたら終電も終わった時間になっていた

どうやって帰れってんだ!と非常な病院の対応に最初びびったけど・・・

 全員集合の超絶

しいて言うなら

事故にあったのが、自分でよかったと、心から思えます

自分だから、責任とれるが

これが違う人だったら

俺はずっと悔やみながら、詫び続けることだっただろうし

女性だったら、もう、その顔に何かあったら謝罪しても謝罪しきれない


だから、その点が俺幸運だった


宣伝用 超絶  


遠し稽古を自分のタブレットで撮影していたので

自分が気を失った時間

何が起きたのかを見る事ができて・・・

事故後のみんなの対応が素晴らしく

協力的であったことにまた救われました

本当にありがとう
 


なんか、無事にあれから1年迎えられた事に感謝したい

先日20年ぶりに受けた健康診断で

血圧と心電図にちょっと「?」でも問題ないとあって

他が全然健康だったので、少しほっとしました

この1年で何度レントゲンを撮ったのだろうか

事故直後、生まれて初めてCTスキャンで脳内をつぶさに調べられ

その後は、レントゲン・・・

完治と言われるまで、何度かありました

なのでこの1年でけっこう被爆しております

 ゲネのとき 山縣有斗

病気になる、ならない、事故にあう、あわない

それは、運であったり、不運であったり

不注意に巻き込まれたり、自分が不注意だったり

熱中し過ぎて回りが見えてなかったり、見えてるのに見逃したり
 

何が、どこで、どう作用して、それが起こっているのかなんて

本当に分からない

ただ、それは、何かが何かに影響しあって生まれた

バタフライエフェクトの一部であって


この1年前の事故

そこには、俺の油断が潜んでいるのは思い起こせば、感じられる

そこにこの事故は繋がっていた 
 
そして、促す必要がある事を、演出でありながら

ちょっと置いていた事もある

そう、繋がってる
 

3日後に本番を控えて

通し稽古も素晴らしいクオリティに近づいていた中での出来事に

自分の俳優という仕事、終わるかも知れない

ぐらいになっていた

   熱い 山縣有斗

それがね、今はね

今年6月には、イベントに立つくらいに復活し

やや滑舌に難が残っているが・・・

徐々に、慣れてきてはいる

笑えるレベルになって・・・本当に良かったなぁと

思います

もう本番まで本番中、自宅では、自然治癒力を信じて瞑想を繰り返し

自分のエネルギーを注ぎました

腫れると言われた部分もほとんど腫れず

お客様も気が付かれなかったほどでしたが

色んな人の想いがこちらに向かっていたように思います
 

病院の担当医も、半年間みっちり付き合って頂き

治療しながら、回復力の良さに驚いていたし

ついで、長年の夢だった、悪夢だった

下の歯の親知らず両方抜くという大きな工事も

一手に引き受け、やってくれました

合わせて

なんか、逆にすっきりした状態で


また、1年廻った事に

本当にほっとします

そして、『超絶ヒーロー』という最高な作品が仕上がったと思っています

    超絶ヒーロー 超絶集合~   

支えてくれた人

想いを寄せてくれた人

関係者

この事を話した事がある人

 
 
皆さん、ありがとう

とこの場を借りて書き記しておきます




 
PS:担当医には患者と連絡先交わすのはアレですよね?
自分の復活活動などはブログでアップしていきますから
機会ありましたらよろしくお願いします
と伝えたが・・・
この2ヵ月全く更新していないっていう
もし、御覧になっていたら、メッセージお願いします

 
2016年11月8日 山縣有斗











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「無関心」は「凡庸な悪」だが、「無関心な人」を責めては始まらない
2016-06-30 Thu 07:32


知り合いのお母さんに、「選挙行く?」

ってさり気なく聞いてみたら

「あ、行かないよ」

と言われ、一瞬冗談かと思って

「いやいや、行くでしょ~」

と言うと

「いや、行かない、行かない」

と返してくる


しかも、人生で1度だけ行った事があるだけで

40歳過ぎて、それ以外に一度も行った事がないという


いささか、ショックを受けた・・・

時々、今の不条理な状況を話したりして

頷いたりするから

子供も2人いるから

少しは考えてるのかなぁと思っていたけど
 

そんなもんなんだね・・・

っていう

たまたま、その人がそうだっただけだろうけどね


でも、それが、それこそが現実なんだよね

投票率から言うとさ

この圧倒的な無関心な、食わず嫌いな状況や

過去に○○学会からしつこく勧誘された、とか

政治活動になるとうるさい雰囲気が嫌だとか

そんなこんなで、シャットダウン!

って方もいる事を実感している
 
 
今、この世の中を、違う流れにしていきたいと思ってる方は

頑なまでに拒絶反応をする人を、半ば切れ気味に

「じゃ、あなたは、戦争に子供を行かせなさい」

と短路的な話にすり替えてはならない、と思っている



ペリソロ 山縣有斗      
 
俺がステージで大勢に伝えるツールをもって

表現した際に

ある人には、大きな刺激になるし、ならない人もいる

そりゃそうなんだんだが
 

まず劇場に足を運んでくれたこと、それ自体が大きな一歩


 
しかし、そのお母さんの場合は

はなから劇場に行く気もない、そんなスタンス
 
劇場を選挙に置き換えるだけの話だが

動かないよね、決して・・・ 



今回は本当にやばいから、選挙行ってよ

考えようよ、今の状況、ほんとやばいと思うんだよね、って語ってみるも

「いや、いい、いい」

とシャットダウンだった

 
これには、知り合いだけに、傷ついた・・・俺はね

 
「ってか、みんな行ってる?行ってないよ私の周りは」

と言うので

「だから、こんな風に問題になってんだよ、今。投票率も低いし

 子供の未来もかかってるからさ、知って考えようぜ。今はね・・・」

と諭してみるも


「いい、いい」

と、最初から変わらぬ、全くの拒否・・・

「知らないし、よく分からない」

この『よく分からない』、といのは思考停止を意味して

これ以上受け付けないっていう事になっていて

興味がない、という事で受け付けない
 
食わず嫌いだから・・・

伝えようとしても、聴きたくないという状態に陥っている
  

そもそも「今、直接自分に影響ないことだから、関係ない」んだそうだ
 

いやぁ・・・本当にショックだった

「今のままでいいの?」って聞くと「今のままでいい」という


圧倒的な『無関心』を突き通す

という状態



俺は、知り合いひとり、ちゃんと話を聞いてもらう事すら出来ないでいるんだ

という恐ろしい事を感じた
 
リアルだよね、それ。。。
 

でもね、彼女を 無関心が悪い!あんたのせいで世の中こんなんだ!

と責めていても、実は、何にもならない

確かに『無関心は悪い』が、彼女が悪いわけではない、という事

だから、そのような人たちを責めたり

興味持てよ!と叫んだところで

ますます離れていくことになる
 

政治なんてよく分からないし

私には、直接関係ないし、と 

直接関係ない、と主張してる事が

政治は直接関係あることに繋がるんだ、という事を説明する事すら

許してもらえないのだ
 


投票は権利であり、義務ではない、という事が前提になるうえ

権利、をちゃんと使用する方法

どのようにして、その権利が生まれたのかを知る機会

それがどれほど人を大事にするツールとしてあるのかを勉強する機会

を奪われた教育のたまものでもあり

誰も教えてくれなかった、現代史の勉強の薄さや

受験勉強用の勉強方法のたまものでもある

権利を民主主義に置き換えても同じ意味

 
 
基本的人権が、今、失われようと改憲される可能性があるが

俺たちはこの「基本的人権」を謳歌すらしておらず

使いこなせていないので、その大切さと

失う怖さが、実感として、恐ろしく薄いのだ

もっと言えば価値に気が付いてない

しいて言えば、権利があることの Before After が分からない

文字で見ても、実感としてリアリティを感じえない


なんとう事だ・・・


基本的人権という権利を認められるより

子供のころから、制服を決めてもらい

持ち物を決めてもらい、決められたことを

考えずに受け入れていくことの楽なんだよね

決めなくていい、という事

(民主主義的な方法で決めれらた制服ではなく
 偉い人が決めてくれた制服やルールが楽)
 

指図された世界の方が

人権が大切にされる世界よりも秩序も守られ

突出して目立つこともないし、
 
個性が主張されないので

出る杭とはならない

その輪の中で生きる方が、考えなくていいので、とても素敵な世界なのだ

もともともしかしたら日本の習性なのかも知れない
 
 ※出る杭で打たれて、その輪から外れた人が以外とアーティストに多いかも
  あるいは登校拒否など変な人扱いを受けてきたかもしれない
 

社会人となり、仕事務めしていくと

会社で決めれらたルールの中でお咎めなく生きる事が楽だし

「人としても、会社としても、それおかしいな」と思っても、

それを主張する自由や権利を謳歌していないし

改善されないと思っているし

改善するための手段を知らないし、権利があるとも思っていない(かも)

労働組合が機能しておらず、我慢を強いられていて

強いられているというより、進んで我慢していっている

ストライキなどあり得ないのが日本の特徴かも知れない

波風立てない、「このままでいい、自分に影響がないから」と

影響があるのに、自覚ができないでいる



そんな状態なのだと思う


戦後、基本的人権が踏みにじられていた戦前の日本において

基本的人権が与えられたが

その人権すらよく分からず

棚から牡丹餅、状態で、素晴らしい権利を手に入れたが

素敵過ぎて、その服をうまく着こなせないでいた

そんなふうな状況のような気がする

 
それはそれで、いい部分もあったかもしれない

全体性、自己傲慢による「俺が俺が主義」を阻んだかも知れない
 

ただし、民主主義として運営されている今の政治においては、

いい服(基本的人権)を着ていても

いまだに着こなせていない(権利を使いきれていない)ので

危機感が伝わりづらいのかも知れない

 
問題は歴史の中で、深々と根付いてるし

それを良しとして

その無関心のうえで、自由に利権の枝を伸ばして

支配層となった、知っていてそれを利用してきた

有能な人たちの壁が

さらに現実をわかりづらくしていた
 


アーティスト達の方が、

~~する自由、自分のあるがままに、という大切な

それこそ基本的人権だが

気が付きやすかったのか

そのアーティストたちの声で、

「え!マジで!」って思った人も多いかも知れない
 

 

あと自由主義という流れの中で、

海外で生きる素敵なライフスタイルを

一部の人は、知る事によって

「自由」の大切さをもしかしたら気が付いているのかも知れない


年配の人の方が頑ななのかも知れないよね
 
「自由」<「秩序」と「立場」と「利権」

世界秩序ではなく、会社、家族、の立場主義的な支配ありきの秩序というか・・・
 

日本会議の草の根運動のすごさ

60年代の学生運動の時からの伝説が歩き続けている

右的市民運動は組織票として大きいし

どんな話を聞いても、結局は「右」から外れる事はないから凄い
 
 
それと同じくらいの根気で

やる事が必要となってきているが


如何せん・・・選挙は10日後っていう状態

 
『無関心』は、『凡庸な悪』『悪質』であるが

『無関心の人が悪い』わけじゃない、ことを今一度

認識していかねければ

「無関心が関心に変わるミラクルは起こりづらい」


置いて行くの???

ノアの箱舟に乗らない人は沈んでもらうの???

それは民主主義ではないよね

無関心な人を認めていくことも、対話なのだと思う

それが、その人の、(権利そのものの大切さや持ってることに気が付いてないかもだが)

その人の権利なのだ

認めよう


いろんな事を知っていけばいくほどね

無関心な人が嫌いになりそうになるんだ・・・

腹も立ててしまうんだ・・・俺に寛容さがないのかもね

でも、それは本当は違うんだよね

無関心はその人の一部に過ぎないってことでもある
 

伝え方、考え

相手への偏見、取っ払い

対話すること

できるかな。。。


 

そんなの言ってらんない時期に来てるのは確かだ・・・

俺の知り合いや友人は

基本的に関心持ってる人が多いし

舞台など山縣作品で、興味もってくれた人も多い

なので


このお母さんの圧倒的な無関心の重い壁にぶち当たり

本当に本当にショックだった

無関心が・・・

将来の子供に繋がることだと認識すらできないでいることが現実にある
 
 
 

一番いいのは

ジャニタレが全体で

「選挙に行きましょう!」って呼びかける事が

いろんな層が動き出しそう


「選挙に行きましょう!」は大切な権利だから

誰でも、誰が言っても、全然問題ない発言だしね

選挙スター   

ついで、各党の主張をまとめて

公平性を持って伝えてくれて

「さぁみんなで考えよう~」

なんて言ってくれればさ、

投票率は確実にあがるのにね

それにしても至極まっとうなCMだなぁ


そう、だから、その人を動かすのは俺じゃないって事なんだ

その人がリスクペクトしてる誰か

信頼している誰かが話かけることによって

きっと動くのだと思う

その人が尊敬するタレントが言わない

友人が無関心

その人たちが、誰かに出会って、話を聞いて、言える機会があれば

きっと、そのお母さんにもめぐってくるはず


 
それが、誰と誰が繋がっていくのか分からないから

俺の言葉が、違う人伝わって、迂回して、迂回して、迂回して

ある人に伝わり共感を得て、ある無関心な人の親友だったりして

ある時に伝わるのかも知れないね

 
だから

どこの、どの人に、影響があるか、伝わるか分からないから

発信をし続けるしかないんだよね
 
  

ただし、無関心層を攻撃する発信ではなく

大事な事を伝える発信にちゃんとベクトルを持つことだ


繋がれ

Let us all unite!
 




 

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5年目の3月11日が始まり、胸が詰まる。そして、チェリノブイリから30年、福島から5年。
2016-03-11 Fri 18:11

2011 3 11 14:46

Peace On Earthにて

多くの方々と黙とうを捧げました
 
 

お悔やみを申し上げると同時に 

多くの方の、その後の経済的、精神的安否を案じております

 
 
核の光ではなく

太陽の光へ
 

今を受け入れ
 
決心した明るい、光の方へ向かう事を願っています

 
 

かもめのジェシカ 明るい方へ 横バージョン 山縣有斗 

  

※『かごめのジェシカ 明るい方へ』
もともとは、絵のサイトで縦の絵で発表していますが
このように横にするとまた
違う視点で世界が明るく開けそうです
 
 
  


あの時と同じように、今年は金曜日

あの状況とは、もう違う、金曜日になっているだろうか

 

僕らは、自然の猛威の力と、核の危険性を再確認し、
 
様々な決心をしかけては

国策、政策により、踏みにじられているモノがおおくある事を

感じざるを得ません
 
 
震災から5年

しかし

原発事故が始まって5年です

現在進行形です・・・

 
 
怒りは、今、ここでは置いておきますね
 
 
それぞれの命が尊ばれることを
 
これからも

ずっと望みます
 
  
 
 
2015年3月11日
 
山縣有斗

 
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梅の木 俺という変態は観ている
2016-02-26 Fri 23:08


それでも、心体のトレーニングを

公園でやっていて
 
 
椅子にしたり
 
している大きな岩の上に座り
 
 
しばし瞑想
 
寒いが、土と木と、風と、川の音と
 
時々遠くで車が通る音と

人の声と
 
受けとめていく
  

 
そして
 
その左側には


一本の


梅の木


 
梅の木 山縣有斗 


それ色は月に照らされて、白桃のような優しい色になっている

 
何度かツイッターでも書いたかもだけど
 
柔らかい気持にさせてくれる


 
思わず、宮沢賢治の

『雨ニモマケズ』

を口ずさむ
 

 
こうやっちゃうのはもう何度目か
 
 
途中、ぐぐっと涙があふれてくるんだよね
 
衝動が心底から起って来る
 
 
梅の木に、「ありがとう」って言いたくなる 
  
 
 
な、俺、変態だろ?
 
おかしいだろ?

 
でもね、咲いてくれて、そこにいてくれてありがとうって
 
正直に思えて、言えるテンションあるんだよね
 
 
同じように、人に素直に

言える事もあるけど
 
あるプライドが起きて言えない事もあるし
 
そっちの方がよっぽど恥ずかしく、変態だ

素直に口に出して言ってあげたいのにね
 
 

 

 
人が犬の散歩をさせていようと関係なく、ちょっと言ってる
 
犬がめっちゃめちゃ俺を観てる目線を時に感じる
 
犬は、わかってるね
 
気が合うな
 
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